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涅槃への道
(H12.6.25開設)

BY 又の名瞑想禅士

プロローグ
 このコーナーは、涅槃入寂への手引書である。
釈尊の教えに従い、以下成仏得道までのシュミレーションを恍惚の瞑想禅士がお届けする。


 秋うらら、小春日和、頭がぼやけ、眠くなる。
 修行の日々の朝は早く、辛い。
 いざ、瞑想の世界へ

1、再び釈尊の世界へ
 師、その名は、シッダッタ。又の名、ゴーダマ.ブッダ。
 又の又の名、仏教の開祖、釈迦牟尼世尊(シャカムニセソン)、略して釈尊と呼ばれる。

 シッダッタは幼名で、目的を成就させる者という意味である。
 ゴーダマは、良質の牛、日本の名字では良牛といったところか。
 ブッダはサンスクリット語で、覚者、すなわち真理に目覚めた者である。


 又、釈迦とは釈迦族出身の人間ということである。牟尼は聖者の意味で、
世尊は世人の尊崇を受ける人である。

 釈迦牟尼世尊、つまり釈尊とは以上のような人である。
 釈尊の悟りとは、宇宙の解明であり、釈尊が到達した真理である。。

 天上天下唯我独尊

 釈尊誕生の産声であり、覚者となる人の未来を先取りした宣言であった。
 西暦紀元前566年4月8日に誕生、つまり日本では甘茶でかっぽれ、
つまり灌仏会の日であるが、外国では別の日を釈尊の誕生日としている。


 といきなりハイレベルの話で始まる。
 ついて行かれない方は、般若心経を100回唱えてから、次のステップに進みましょう。

 基礎が出来ておられる方、引き続いて次のステップに進みましょう。

2、座禅-結跏趺坐
 まず基本形として形から入る。釈尊が悟りを開くまでの、禅定で修行したスタイル、
座禅-結跏趺坐から涅槃への道が始まる。

 座禅瞑想から精神統一を図り、無の境地に入る。

 無とは、自分の肉体から可能な限り己を消していくことであり、
意識を消していくことであり、気配を断つことである。

 目を閉じる、呼吸を整える。
 意識を透明にする。
 自分の意識を完全に無にはしないで、どこかに残しておく。


 不安、悲しみ、絶望、歓喜、狂乱、破壊、苦痛、怒り、憎しみ、哀しみ。

 物質は環境のあり方によって、硬くも、柔らかくも、熱くも、冷たくも、存在も、空(うつろ)にも変化する。
 それが本質であるからである。


 色即是空、空即是色。

 やがて、無限に続く静寂の中に入る。
 長い長い、永劫の沈黙の中に、自分の意識が放り出される。
 自我は、透明で、思念のみが浮遊している。

3、神の業、仏性”X”を定義する
 座禅の途中であるが、ここで釈尊が辿り着いた世界についての理解を深めるため、
悟りの世界、涅槃を科学的に説明する。


 科学で解明できないプログラム、遺伝子をXとする。
 地球上に存在する生命、全てのものが、Xによって存在させられている。

 つまり、これまで科学で解明できないものは、神の業とするより他に説明のしようがなかった。
 よって、キリスト教では、全知全能の神(THE GOD)、つまり”X”が天地創造をしたとしている。

 また、キリスト教、パウロの神学では、人間の始まりは、罪を犯したアダムとイブとなっている。
 その罪の結果、人間は死ぬ定めとなっているようである。


 日本神話では、創世の神々Xとして、別天つ神(コトアマツノカミ)を初めとする五神と、
国之常立神(クニトコタチノカミ)を初めとする神世七神がおられ、
神世七神の中に天皇家の皇祖イザナギ、イザナミがおられる。


 一方、仏教では、”一切衆生悉有仏性”、生きとし生けるもののすべてに仏性を有すとしている。
 この仏性をXと仮定する。


4、神の創造、ビッグバン
 宇宙の起源、宇宙の素、と定義するもので、宇宙歴史の座標0地点と仮定するものである。

 ある時、宇宙が爆発した。
 その時から、宇宙の歴史が始まった。

 地球の誕生は45億年前、原始人間が現れたのは200万年前である。

 それに対し、宇宙の始め、ビッグバンが始まったのは、今から、100億年から200億年前と推定されている。
 宇宙の始まりは、ビッグバンで、つまり神が創造した時期であると位置付ける。

 ビッグバンの瞬間、100万分の1秒後には、未知粒子が現れ、1秒後にはレプトン、
20秒後にはヘリュウムが合成され、そのあと10万年間はプラズマ状態が続き、
その後数10億年かかり、冷却、ガス化、固形化され、銀河や星となって今の宇宙が形成されてきた。


 例えば、地球の物質、大地、海、空気、地球上の生物、植物のありとあらゆるものの素、
元素、遺伝子が、このビッグバンの瞬間に形成されている。


 水素からヘリュウム、炭素、酸素、銅、鉄、プルトニュウムへと変化する遺伝子を。
 又、バクテリアから、植物、原始動物、人に至るまでの進化する遺伝子を、
このビッグバンで形成されている。
 仏教語では、ビッグバンを
”空”と定義している。

5、神と相対性理論
  t=t。/α
 α=ルート(1-β)
 β= v /c、 c=光の速度(300,000Km/s)


 速度 vで動いている状態での時間 t と、静止している状態での時間 t。の関係は、上記の式で表される。

 通常、我々がイメージ出来る速度 v (例えば、新幹線でも500Km/hr)に対して、
v/c は限りなくゼロに近いので、t と t。はほとんど等しい。


 ところが、vが光の速度に近づくほど、t は t。より大きくなり、光の速度程度になるとtは無限大になってしまう。
 つまり、静止している人の時間1秒間に対し、光の速度で移動している人の、
 何時間も、何日も、何年もの時間に相当することとなる。


 光の速度で移動できる人は、我々凡人の一瞬の間に対し、膨大な時を持って、
全国各地に、十方世界に、ありとあらゆる場所に、過去、現在、未来のあらゆる時に、
出没することが出来、何百年、何千年も生きることが出来るのである。


 又、光の速度以上の速さになれば、t は負の状態となり、
タイムマシンのように過去の世界にも出入り出来るようになる。


 この世界を体感することに用いられるのが、禅による瞑想であり、思想空間の世界である。
 例えば、夢で人間の一生を、ロングランで克明にわたって見たとする。
 しかし、その人の脳波が活動していた時間は、数秒、長くても数分の出来事である。

 これは、時間の歪みであり、禅でいう”定”(じょう)の状態であり、または三昧(ざんまい)ともいう。

 例えば、”贅沢三昧”というように使われ、佳境に入っている状態、ドップリとはまりこんでいる状態のことである。

 このことから、ビッグバンの瞬間 t。は、無限大の時間tであり、全ての存在の素がこの時間に作られ、
生命の素、”X”という神の領域のことであるということが理解して頂けると思う。


6、宇宙戦士ギャバン
 私が宇宙戦士ギャバンと呼ばれていた時、亜空空間に何度も入り込んだことがあった。
 亜空空間とは、精神と対話出来る環境、魂と向かい合える空間で、4次元の空間であるが、
禅の世界では3次元の裏にある虚ろな世界、無の世界と位置付けている。


 私が銀河戦士ギャバンであった青年時代の頃、時空空間に何回も彷徨い込んだことがある。
 時空空間とは、時間の歪みよる現象であり、悟りの境地、三昧の世界に通じるものである。

 今にして思えば、亜空空間、時空空間とは、悟りの境地の世界であり、
若かりし頃、何度も彷徨い込んだこの空間に、この世界に、
自らの意志で浸れることが、簡単に出来ないのが残念である。


7、瞑想
 幾らか理解を得られたと思うので、再び座禅の続きを始めよう。

 再び、精神を鎮める、魂との対話を始める。
 瞑想により、因果を知る。
 意識を小さいものに合わせる。
 更に小さいものに合わせる。


 自分の精神が、細胞が見え始める。
 更に焦点を小さいものに合わせる。

 細胞から、無限小の宇宙への旅へと。
 粒子から、元素、原子へ、元素の絡まり合い、そして、粒子の絡まり合いがその精神を決定付けている。


 漸く、本質である核に辿り着く。

 時間の感覚が希薄になる。
 時間の感覚を知覚する能力を切り離す。
 無意識のうちに時間を計る。


 その時の基準は、心臓の鼓動であり、呼吸である。
 無の世界になったとき、残るのが我(アートマン)である。

 途方もない空(うつろ)、哀しみ、深い絶望と孤独、宇宙の虚空。
 総て脱ぎ捨てたときに、まだ残っているものの結晶体が、我(アートマン)、純粋な智恵、般若、剛智である。
 外から見れば、夢うつつ、鼻提灯、涎、恍惚状態としか見えないであろうが。

8、仏とは
 旧字体では佛という字であり、弗は不と同意義、あらずで、つまり、仏は人でないものということになる。

 釈尊の悟る、覚る、入寂することは、成仏することである。

 死人が仏であるというのは、少し意味が違うのであるが、一般にはそのように使われている。
 人は言葉を持っているから、仏になることが出来ないらしい。

 反対に、言葉を持っていないものは、仏であることが出来る。
 つまり、”一切衆生悉有仏性”である。
 言い換えれば、言葉を捨てれば、仏になれる。

 言葉を持つ人間は、仏になるため、修行することが必要となり、その修行への道が禅である。

 東洋思想では、天地創造の神は梵天(ブラフマン)であり、
ブラフマンのかけらが宇宙に散らばっている我(アートマン)で、
アートマンを自覚すれば、ブラフマンになれるという思想になっている。


 一方、仏教では、釈尊を常時見守っているのは、二大守護神の梵天と帝釈天である。

 又、宇宙空間は球面であり、光は一回りして、元に必ず戻ってくる。
 よって、光の速度で移動している人は、
それを見ている自分の後ろ姿を見ることが見ることが出来るの訳である。

 お釈迦様が明燈明仏として何回もその姿を現すのは、時間の歪みがあるからであり、
 t は t。に対し無限大の時間で、思想空間であったからである。

 梵天も、帝釈天も、又、釈尊自身の姿を、自ら映し出されたものである。
9、開眼
 いよいよクライマックスです。
 後一息です。
 最後まで頑張りましょう。

 宇宙は、轟々と音を立てて回転している。
 光が生まれ、物質が生まれる。
 重力が発生する。


 あらゆるものが、光に乗りかかり、宇宙空間に、この世界に乱舞する。
 すなわち、宇宙は光を放ち、神々を時空に向かって疾(はし)らせる。

 この宇宙の創造神である梵天王は、

 おう覚者よ、あなたは悟られた。
 あたたは永遠不滅の真理を知られた。


 この宇宙の維持神であるヴィシュヌ神は、

 おう覚者よ、あなたは悟られた。
 あたたは永遠不滅の真理を知られた。


 さらに、宇宙の破壊神であるシヴァ神、武勇神である帝釈天インドラ、
美と富と繁栄の女神である吉祥天、富の神である毘沙門天等の12天が賛美する。

 更に、1千万の飛天と1千万の楽天が、楽の音を奏でながら宙を舞っている。

 覚者は釈尊であり、月の影に釈迦如来として映り、無限大の時間の中で、
釈尊は月の光の中に薬師如来、阿弥陀如来として輝き、
真理そのものの根源的な仏として、大日如来、毘廬遮那仏となり、次々とその姿を現した。


 更に、釈尊が悟られる前の修行の姿の菩提薩多が、
弥勒菩薩として、観世音菩薩として、大勢至菩薩として
、日光、月光、文殊、普賢、虚空蔵菩薩として現れ、
更に如来の変身、使者として、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、
大威徳明王、金剛夜叉明王の5大明王が、憤怒の形相で睨みを利かす。


 それらは黄金の光の束となっているように見える。
 そして、宇宙に、あらゆる生命が光となって輝いている。
 それは、ただの眩しい光にしか見えないであろう。

  西方浄土は十万億土と限りなく遠くにあるが、一方、その本質は、仏是自性の作であるとも言える。

 自性が迷えば仏即ち衆生となり、自性を悟れば衆生即ち是仏となることが出来るのである。

 諸行無常
 諸法無我
 涅槃寂静

(おしまい)


*参考文献:涅槃の王(夢枕 獏)、夢夢倶楽部(発想集団下水道自由人)